祖父母は戦後、船で日本からブラジルへ渡りました。母方は沖縄、父方は熊本と鹿児島にルーツがあります。両親は1991年ごろ、それぞれ別々にブラジルから日本へ来て、横浜で出会いました。そこでわたしが生まれました。
沖縄と群馬の太田で育ちました。日本語が母語です。ポルトガル語はあとから身につけた言葉で、京都の大学でブラジルポルトガル語を学び、サンパウロに留学しました。
自分のことは、日本人だと思っています。でも、在留カードを持って暮らしていた間、そう言い切れない時間が長くありました。
わたしについて
帰化で「カーレン」という名前は、戸籍から消えました。それでも、ここで生きると決めたのは自分です。その決断を支える仕事を、いまはしています。
井手口睦美いでぐち むつみ / 行政書士
はじまり
祖父母は戦後、船で日本からブラジルへ渡りました。母方は沖縄、父方は熊本と鹿児島にルーツがあります。両親は1991年ごろ、それぞれ別々にブラジルから日本へ来て、横浜で出会いました。そこでわたしが生まれました。
沖縄と群馬の太田で育ちました。日本語が母語です。ポルトガル語はあとから身につけた言葉で、京都の大学でブラジルポルトガル語を学び、サンパウロに留学しました。
自分のことは、日本人だと思っています。でも、在留カードを持って暮らしていた間、そう言い切れない時間が長くありました。
24歳
大学の先生が行政書士の資格を持っていて、帰化のことを教えてくれました。高校を出たころから「日本人になる」と決めていたので、大学の夏休みに何も知らずに法務局へ行って、「予約が要ります」と言われて帰ってきたこともあります。
社会人になってから、自分で申請しました。役所をまわって書類を集めながら、日本でしか暮らしていないのに、税金も払っているのに、いちいち疑われているようで、やるせなかったのを覚えています。
帰化で日本名を選びました。「井手口カーレン睦美」だった時代があります。カーレンという名前は戸籍から消えて、その後、海外日系人大会でその名前を取り戻す話をすることになるとは、そのときは思っていませんでした。
会社員から、行政書士へ
新卒で貿易商社に入り、3年ほど働きました。英語と、ウェブサイトを作る技術はここで覚えました。結婚を機に退職して、専業主婦の間に知り合いのホームページやチラシを無償で作っていたら、「自分で仕事を生み出すのは楽しい」と気づきました。
法律をわかりやすく伝えるYouTubeを始めましたが、反応はありませんでした。それなら資格を取ろうと、2〜3年勉強して行政書士になりました。自分の帰化で感じた「誰か横にいてくれたら」を、今度は自分がやる側になろうと思ったからです。
いまは開業5年目。一人で、外国人に関わる手続きだけを専門にしています。
平和とは、
明日何をして生きるかを、
自分で決められること。
自分の人生は、自分にしか変えられません。決めるのは家族でも友達でもSNSでもなく、本人。わたしは選択肢と自由を広げる側にいて、依存ではなく自立を支えます。
命をつないできた人たちのことを知ると、安心して挑戦できるようになります。動機書を本人の言葉で書くのは、そのためでもあります。
自分を知ると、他者を受け入れる余白ができます。価値観を揺さぶられる経験をすると、厚みが出ます。余白と厚みのある人どうしなら、対話ができる。共生は、文化と文化ではなく、人と人の話だと思っています。
日本語でも、ポルトガル語でも。やり取りはメッセージでお願いしています。お電話には出られないことがあるので、フォームかメールが確実です。
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